Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人のサキです。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

看取り?殺人!  《人の命》という重たいものに関わる関係者が、看取り介護と称する見捨て死を、高齢者だからという理由で認めることがあるとすれば、恐ろしいことである!

入院中に「喀痰吸引」が常時必要な状態となり、医師からは次に入所する施設で看取りになるであろうという予測が示されていた。家族は施設に戻ることを強く希望しているが、質問者の施設では24時間喀痰吸引する職員が配置されてはおらず、夜間の喀痰吸引はできない状態であるが、ご家族の希望に基づいて、夜間のたん吸引を行わないことを前提で受け入れて、看取り介護としてサービスを提供しても良いだろうかというような内容である。

この質問の何に驚いたかといえば、こんな判断もできないことに驚いたのである。

喀痰吸引が必要な人の、吸引を行わないということは、痰が喉に詰まって死に至らしめることをありとするということにほかならず、それは未必の故意による殺人とほとんど差のない行為であるということになぜ気がつかないのだろう。

そもそもこういう質問がされるということは、高齢者であれば必要な治療が行われずに死に至らしめされることがあってもう良いと考えているからではないのか?看取り介護とは、単に死に行く場所を提供することだと勘違いしているのではないのか?

それは全く間違った考え方である。命の重みは年齢には関係しなく、すべての命が尊重されるべきなのである。

単に「病状が重篤だから高齢者には治療が必要ない」と判断することがあってはいけないし「もう年だから」と年齢だけで終末期と決めてしまうことがあってはならないということである。 高齢者の積極的な治療は無駄だといった価値観は徹底的に排除されたうえで、人間として安らかに最期を迎える状態とはどのような状態かという観点から「自然死」というものを考えていかねばならない。

その上で、医師の医学的見地から「積極的な医療がないと生命の維持が不可能であり、またその医療を必要としなくなる状態には回復する見込みがない状態」と判断して始めて終末期と認められるし、この場合でも積極的な延命治療を必要とはしなくとも、安楽のための治療行為や看護は求められるわけである。

喀痰吸引とは、まさに安楽のための医療行為であり、終末期で余命がいくばくもないとされていたとしても、行わなくて良い行為ではない。

僕はこのスレッドに、「仮に、この方が回復不能な治療不可能な状態と判断され、看取り介護対象となったとした場合、そこでは最期の瞬間まで安心でき、安楽な状態で介護するということが必要になり、それがなければ看取り介護とは言えません。そうであれば看取り介護の最中においても、喀痰吸引が必要な人の吸引を行わないで、たんが詰まって死に至らしめるなんてことがあって良いはずがなく、そんなことがあれば、それは見捨て死であり、殺人行為と何ら変わることのないものです。」というレスポンスをつけたが、同時にこういうアドバイスをしなければならないことに情けなさを感じている。

人の命という重たいものに関わる関係者が、看取り介護と称する見捨て死を、高齢者だからという理由で認めることがあるとすれば、空恐ろしいことである。

看取り介護を、単に死に場所を提供することと勘違いする人がいることは恐ろしいことである。息を止める瞬間を誰も看取ることがなく逝かせてしまう人が存在することも看取り介護であると勘違いしている人がいるとしたら恐ろしいことである。

看取り介護という言葉、ターミナルケアという言葉だけが存在して、それはどのような介護なのかという理念が存在しないことは恐ろしいことである。