Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人のサキです。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

ナイチンゲールの介護覚え書について考える




ナイチンゲールの著書である「看護覚え書」(1860年)は13の章で構成されている。





それはクリミア戦争(1853~1856)において、イギリス軍の野戦病院に赴た際の看護実践に基づいた内容であり、それぞれの章で書かれていることを要約すると以下のようになる。



1.空気を適切な温度に保ち、換気を十分にすることが大切
2.きれいな水を与え採光などに気を配ることが大切
3.チームの中でリーダーが他の看護師の言動にすべて責任を持つことが大切
4.騒音や内緒話など、不必要な物音は患者さんに不安を与える
5.よい環境の変化が気分転換となり、回復につながる
6.体調などに合わせて、食べられるようにすることが大切
7.栄養バランスが大切
8.こまめにシーツ交換し寝具の環境衛生に努めることが大切
9.健康維持や回復のためには、陽光が必要
10.こまめに掃除を行い、清潔を保つことが大切
11.体を拭いて清潔を保つことが大切
12.よけいな話をして、却って不安を与えず、励まして勇気を与えることが大切
13.表情や顔色、排泄物などを観察して患者さんの体調を確認することが大切



ナイチンゲールは、そのほかにも戦闘で傷ついた兵士に、「故郷に帰る」という動機づけを持たせることにより、勇気を与えることが大切だとも述べている。




これらは現在看護というより介護として行われている行為がほとんどである。現代の看護師はこれらの行為より、「もっと高度な看護技術」を行っているとして、看護覚え書きに書かれている行為を、「介護職員」に丸投げしてしまっているような看護現場もある。



その結果患者に勇気を与えるどころか、上から目線の傲慢な言動で、屈辱と不満しか与えない看護師が増殖している。患者を不安にさせない技術など一切持たずに、その存在そのものが不安要素だとしか思えない看護師がそこかしこに存在しているようだ。



ナイチンゲールは「看護覚え書」の中で、看護技術をスキル(skill)という言葉ではなく、アート(art)という言葉で表現している。しかし眉に手をかざして患者を見つめることをしなくなった現代看護を、アート(art)と表現することはできない。



介護はそれと同じ轍を踏まないようにしなければならない。




介護は今、看護職が放棄した大事な行為を担っているといっても過言ではない。その行為を介護の更なる下請け職をつくって手渡すのでは、介護職の存在価値そのものがなくなってしまうという危機感を持つべきである。



介護という行為は本来、どこかの場面を切り取って行うことができる行為ではない。介護支援を必要とする人々の暮らしとつながっている行為であるということが、介護の本質である。そのつながりを切ってしまうような専門分化は必要とされないのである。



人を見つめ、身体上の小さな変化を見逃さず、声なき声を聴き、心の動きをも見失わない姿勢が何より求められる。介護技術をいかに高めようと、ナイチンゲールがその著書の中で書いた行為を、誰にでもできる「程度の低い行為」だと勘違いしてはならない。



介護をアートにする必要はないけれど、介護が人の暮らしを護り、人が人として生きていく過程を支援する行為であることを忘れないようにせねばならない。介護という職業を通じて、人の役に立つ喜びを感ずる人であってほしい。そのために何が必要かを日々考えてほしい。



介護とは単なる動作支援ではなく、人の行為を支援するものだからこそ、ナイチンゲールが挙げた13項目が必要かつ大切なものになることを忘れてはならない。



そうであれば介護職のアイデンティティの確立や、学問としての介護の体系化が課題だとされて点についていえば、ナイチンゲールの考え方をそのまま当てはめてもよいのではないのか。ナイチンゲールは「看護覚え書」で看護を学問として確立した功績があるとされているが、ナイチンゲールが当時唱えた看護学とは、前述したように今は介護として行われている行為がほとんどなのだから、それを当てはめればよいだけの話だと思うのだが、それを当てはめて説明できる介護教師がいないということなのだろうか?




そんなことは簡単にできると思う。