経管栄養について、終末期を過ごす方々のQOLを下げるばかりではなく、意思疎通ができない状態で経験栄養によって命をつないで何年も生きている人のうち、気管切開している人などは、数時間おきに気管チューブから痰の吸引をするたびに、もがき苦しむ姿が存在しており、その人たちはまるで、もがき苦しむために延命されているように見えるなどという実態がある。しかし、経管栄養が「必要ないもの」とか、「悪者視」されてはならない。
経管栄養とは医療技術の一つに過ぎず、安楽な終末期に繋がる必要な胃婁増設という考え方も成り立つし、経管栄養によって延命したいという希望もあって当然である。
延命のために経管栄養にするかしないかは、治療にあたる医師が、本人の意思を無視して決めるべき問題でもないし、ましてや施設関係者などのサービス提供者が決める問題ではなく、対象となる本人の意思によって決めるものである。利用者自身が経管栄養を行うか否かを選択した後は、その判断が良かったのか、悪かったのかさえ審判する必要はなく、対象者の判断を尊重すべきである。
食事の経口摂取ができなくなった状態が治療によっても回復せず、高齢者自らが自分の生命を維持できなくなった状態であると判定されたとしても、それでもなおかつ生命維持のために経管栄養を行ってほしいという人がいた場合、その意志が何よりも尊重されなければならないし、その際に周囲の人々は、それがベストの選択であると利用者の決定事項を支持しなければならない。
そうしないことには利用者自身や周囲の人々に不安を与えてしまうからである。
自らの価値観はともかく、自分が関わる利用者の決定事項については、決して疑わずに支持するということでしか、その利用者の尊厳を護ることにはならないということを理解しなければならない。