Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

【寛容心】介護の現場を底辺化する要因


サービスの性質の基本は、いつでも、どこでも、誰にでも、相手を大切に思うことである。



また、マナーの性質とは、人間が生きていくうえで、好ましい言動の作法のことであり、それは人に不快感を与えないために、人の知恵が生んだものといえる。



このようなサービスもマナーも対人援助の基本ともいえるものであるが、それは「言葉遣い」だけに注意すればよいという問題ではない。



サービスマナーとして適正化して、守らなければならないものとは、態度(動作・言葉遣い)だけではなく、服装や表情も含まれるということを忘れてはならない。



対人援助だからといって、仕事中におしゃれをしてはならないとは思わない。清潔感のある服装で、利用者から格好いい若者だと思われる服装や化粧ならば、むしろそのことは歓迎されるものだろう。



しかしそれがエスカレートして、対人援助の場でふさわしくない臭いのきつい香水を身にまとうのは利用者に不快な思いを抱かせかねない。服装にしても、おしゃれを通り越した、職場という環境にふさわしくない華美が過ぎれば問題である。それは社会人としての常識を疑われることになりかねない。



介護サービスの場にける、脱ユニホーム・服装の自由化が始まった1990年代、その自由化とはきわめて真面目に議論された問題であった。自由化された服装といっても、白を基調とした目立たない服装が良いのではないかとか、高齢者の目を楽しませるためにも、カラフルな服装は否定されるべきではないとか、様々に議論された。



ところが服装が自由化された先に何が起きているのかといえば、グループホームの職員が、流行だからといてボロボロに敗れたGパンを履いて仕事をしていたり、対人援助のそぐわない言葉やイラストがプリントされているTシャツで、介護業務に従事して、そのことの不適切さや恥を感ずることなく、それを自分の中だけで日常化している。



これはすでにサービスマナーのかけらも見られない、「感覚麻痺」の状態であるといってよい。それは介護の専門家として、介護を職業としているプロとしては失格であり、恥ずべき姿なのである。



対人援助に携わる者が、自らの表情に気を配ることも大切だ。言葉が丁寧であっても、仏頂面で利用者に相対したとき、利用者は介護を受けながら、「あんた何怒ってんの?不愉快だなあ。」と思っている。それはすでに顧客サービスとしては許されない態度であり、言葉だけ適正化しても、サービスマナーのある対応とは言えないわけである。



言葉遣いだけではなく、表情にも注意して利用者にかかわる必要があると気が付いた人々が、看護の場でも、すでにそのことを実践している。



対人援助のプロとして、服装や表情に気を配るということは、サービスマナーの基本なのである。



同時に対人援助とは、言語的コミュニケーション・非言語的コミュニケーションも含めて、コミュニケーション技術が特に重要な要素になる。利用者との日常会話の際に、どのような言葉を操りながら、相手に不快を与えず、できればサービス提供者の、「真心」を感じてもらうことができるのかが、一番の課題である。



そのために接客用語の基本である8大接客用語(ありがとうございます・お待たせいたしました・いらっしゃいませ・かしこまりました・恐れ入ります・申し訳ございません・少々お待ちください・失礼いたしました)を使いこなし、会話は丁寧語で行う習慣を身につけなければならない。



丁寧語とは、「です」・「ます」・「ございます」をつけることで、相手に対して丁寧に接することができる言葉である。それは自分のことも、相手のことにも使える簡単な日常語である。「尊敬語」や「謙譲語」を使いこなすまでの必要はなく、せめてファーストフード店で、学生アルバイトや日本語がたどたどしい外国人でさえも使いこなすことができる、「丁寧語」を使いこなすべきである。それができない人は、コミュニケーションスキルに重大な欠陥があるという意味で、対人援助には向かない人といっても過言ではないだろう。



ところがそうした丁寧語を使いこなすバリアになっているのが、物分かりの良すぎる経営者や上司である場合が多い。



丁寧語での会話を日常化できない職員に対し、『必ずしも丁寧語でなくとも、あなたの思いが伝われば良い』とか、『あなたの個性の範囲で誠意が伝われば良い』とかわけのわからない例外をどんどん作ってしまう。



それはもう基本ルールがない無法地帯と同じ状態と言える。



言葉遣いを人に合わせて変えて、常に相手に自分の思いや、誠意を伝えられる人間などいない。いたとしてもそれは常人ではなく、誰しも実践できる方法論ではない。ましてや丁寧語を使いこなして、丁寧な物言いで、同時に相手に親しみを感じてもらうというボキャブラリーの豊富さを持たない人にとって、それは無い物ねだりだ。



汚い言葉で利用者と会話する理由を、相手に堅苦しく思われないためであると思い込んでいるコミュニケーションスキルの低い人間に、死ぬまでそんな技が使えるわけがない。



そうした過度の物分かりの良さが、人を傷つける介護の場がいつまでも無くならない最大の要因だ。その要因となっている物分かりの良い経営者や上司とは、介護サービスの顧客からすれば最も忌むべき存在であり、負の残渣でしかない。



そこでは人を傷つける言葉の言い訳として、『そんなつもりはなかった。』という人がたくさん出てくる。しかし人の心に傷を負わせた後で、悪気はなかったという言い訳や後悔は、なんの免罪符にもならないことを自覚すべきだ。



過度な寛容、わけのわからない例外など、一生消えないバリアでしかない。



それが介護の現場を底辺化する際たるものだ。