Allo介護の不思議な世界

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看取り介護は「生命の切捨て」か?

医療現場における、延命治療の是非について「本人の意思の意確認ができない場合」に家族の同意で延命治療を行わない、あるいは中止することが「生命の切捨て」に繋がりかねないのではないかという問題と是非。



命は確かに尊い。そして「生きる」ことはそのこと自体が尊重され、敬われるべきであり、すばらしいことであることを忘れてはならない。



しかし医学と医療の発達は、人類が今まで想定したことのない状況での「生」をも作り出している。



近い将来の「死」が確実視される状況で、ある期間の延命処置を行うことの意味が問われている。



場合によっては、その期間、死の時期を延ばすことにみに重点が置かれ、苦しみの時期を延ばしているだけだったのではないのか、という疑問がある。



しかし、これに対する正確な答えを出すことは無理である。人の生に対する価値観、生きる意志、生きたい状況、その瞬間の思いは、すべて個別的な判断で他人が介入する余地はない。



しかし意思表示が不可能な方の延命治療を実行しないことや、その中断をすべて否定するのは、「事なかれ主義」に過ぎなくなる、という危険性もあるのだ。



誰か他人が判断しなければならない状況が「死」の状態まで看取る時期のケアには必ず生じる。だからそのとき、医師が「本人に代わる」家族の意思や希望を受け止め、そして現在の状況を判断し、過去の利用者の意思や生活状況から代弁者としての判断を行って、延命治療の是非を決定をすることは必要だと思う。



それは生を軽んずることでもなければ、切り捨てることでもないと思う。



しかしその判断や責任をすべて医師個人に負わせることはできないし、国の指針や一定のルールがあっても「治療より看取りのケアが必要」という状態と時期の判断は、それらで決めることは不可能だ。



この判断は最終的には、医師個人に負わされることになろうし、機関として責任を負うことになるだろう。



それは特養における看取り介護の場面でも同じである。



そのとき、我々は社会的責任として、日頃から「生」への尊重の教育に取り組むと共に、看取り介護が「死」の援助ではなく、「生きる」という姿を支えてきたという意味があり、その人らしい尊厳ある生き方の延長線上に「看取り」という時期があるという意味を噛みしめ、その人らしい生き方を真剣に考えながら判断する、という姿勢を忘れてはならない。



本人の意思確認ができない場合の延命治療の否定を単に「生の切捨て」などと批判するだけでなく、自分が「死」に向かい合うとき、自分の家族が「死」に向かい合うときに置き換えて、機関や医師に何を求めたいかを考えてほしい。



本当に「どんな状況でも」できるだけ長い時間心臓が鼓動していることが求められる生き方なのだろうか。



そうした悩みを抱えながら現場では、ぎりぎりの判断をおこなっているのであり、決して安易な「生の切捨て」ではないことを理解してもらいたいと思う。