Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

アナタの知らない間に、介護の場にはびこる感覚麻痺による虐待

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「高齢者虐待」とは、暴力的な行為(身体的虐待・性的虐待)だけではなく、暴言や無視、いやがらせなどの心理的虐待や、必要な介護サービスの利用をさせない、世話をしないなどの行為(介護・世話の放棄・放任)や、勝手に高齢者の資産を使ってしまうなどの行為(経済的虐待)が含まれる。



自分はそのような行為とは無縁だと思っている人の中にも、知らず知らずのうちに世間の常識とは乖離した「非常識な目線」からしか、介護サービスを利用する人を見れなくなってしまう人がいる。その中には、明らかな虐待行為に及んでいるにも関わらず、罪の意識を全く持てない人や、そもそも自分は虐待などしていないと思い込んでいる人も多い。しかしそこで行われている行為は、常識をはるかに超えたひどい行為であったりする。



下半身を裸にした利用者をベッドの上で四つん這いにさせ、頭におむつをターバンのように巻き付けている姿を、「かわいい」と言いながら写真を撮り、職員間でメールで回し見て笑っていた老健施設では、そうした行為に至るきっかけは、認知症の女性利用者が便器に座って排泄している姿を写真に撮って回し見た行為がきっかけであった。



そうした不適切行為が明らかになった後に、介護職員に聞き取り調査をしたところ「親しみを込めてやった。かわいかったから」という答えが複数返ってきた。親しみを込めて人の心を殺すことが許されるというのだろうか・・・。そもそもそこで行われていることは、親しい人に行う行為とは言い難い。彼らはなぜ自分が狂っていることに気が付かないのだろうか。



介護職員が利用者に暴言を繰り返し、「馬鹿、クルクルパー」という罵声を浴びせる姿が隠し撮られ、その動画が報道機関に送られたことがきっかけで虐待問題が発覚した特養では、最初からそうした暴言が飛び交っていたわけではなく、ある日、一人の職員が利用者を「さん付け」で呼ばずに、「ちゃん付け」で呼ぶようになったことがきっかけとなったそうである。そこではいつの間にか、利用者をニックネームで呼ぶようになり、利用者に向かって、「お前」と呼ぶ職員さえ現れるようになった。



管理職がその状態に気づかなわけがないと思うのだが、その状態は放置され、いつの間にか利用者の目の前で仁王立ちして、「100歳にもなって、そんなこともわからないのか、阿呆!!」と怒鳴る職員が現れたりしている。隠し撮りの映像は、その状態をつぶさに映し出しているが、そこに映っている職員は、自らの醜いその姿を、自分の家族に見せることができるのだろうか。



4人部屋のベッドをすべて撤去し、認知症の人を、男女の区別なく6人雑居させていた特養では、その部屋で認知症の男性が、隣の布団で寝ていた女性の首を絞めて殺してしまった。その理由は今もってわかっていないが、その部屋では他人同士の男女が雑居させられ、仕切りのないポータブルトイレで排泄させられていた。認知症の人で記憶障害があったとしても、「嫌だ」とか「恥ずかしい」という感情は最後まで残っている。そこで恥ずかしい状態を放置され、意味も解らず首を絞められて殺されていった女性の人生は悲劇そのものである。あまりに可哀そうでならない。



しかし感覚麻痺とは恐ろしいものであることが、この施設の事件は証明している。当初この施設では、4人部屋をそのように不適切利用することに対し、異議を唱える声も出ていたそうである。ところが、権力のある声の大きな職員の主張で、認知症で転倒の恐れがある利用者を、そのような部屋に押し込める状態が数週間続くと、「それはおかしい。」という声はいつの間にかなくなり、認知症で徘徊がある人が入所するたびに、その部屋を利用すべきではないかという提案がされたりしている。しかもそう提案しているのは、過去にその部屋の存在に疑問を呈した職員その人であったりするのだ。



こんな風に、日常は何気なくゆがみ、何気なく壊されていく。普通はいつの間にか奪われ、常識の通用しない密室空間が作られていく。これはとても恐ろしいことだ。だからこそ世間の常識と照らして、我が施設・わが事業所の常識はゆがんでいないのかを常に検証する意識が必要だ。



行事の度に、利用者の頭の上に幼稚園児がかぶるのと見まごう帽子をかぶせて喜んでいる施設職員の心は、いつねじ曲がっていったのだろう。



クリスマスパーティーの度に、大人である高齢者が、サンタクロースの格好をさせられたり、サンタの帽子をかぶって自宅で唄うとでもいうのだろうか。それが施設の常識であるとしたら、その感覚も完全に麻痺しているとしか言いようがない。



尊厳とか権利と言いながら、そこで決定される判断基準が、そこに存在する小権力者の価値観が唯一のものであるとすれば、それはいつ歪んでもおかしくはない。だからこそ情報は常に公開され、世間の声が風通し良く入ってくる空間を常に意識して作っていかねばならない。職員間で「それって普通だと思いますか」という声の掛け合いが大切である。



云う・云われる、という関係性を大事にしないと、人間の「魂」は、云うという字が消えて、鬼になってしまうことを忘れてはならないと思う。