Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

給付制限ありきの自立支援は、地獄支援でしかない!

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介護保険法第一条は、この法律の目的を定めたもので、この中で国民が要介護状態になったとしても「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」ことが、尊厳の保持につながり、そのためにサービスを利用するのだと定め、そのことが結果的に、「国民の保健医療の向上及び福祉の増進」を図るとしている。



自立支援がこの制度の理念であるという根拠が、ここに書かれているわけだ。



そのことに異議はない。ただそれも程度に寄るだろうと思う。なぜならこの制度のサービス対象者とは高齢者が中心であり、その高齢者とは過去に人類が経験したことがない超高齢社会に暮らす人々だからである。



加齢による疾病の発症や慢性疾患の重症化が、その人が暮らす世帯でどのような問題を引き起こすのかということや、認知症の進行による記憶・見当識の悪化や、それに伴う行動・心理症状の重篤化が、どのような過程を踏んで、どんな結果をもたらすかについてを、すべて予測することは不可能なのだ。そこで要介護状態になってしまった人が、自立しなければならない事柄とは、一つ一つの世帯において、一人一人の置かれた状況で異なってくるだろう。



ある一場面だけを切り取って考えると、依存的に暮らしているとしても、そこで手を貸して助けたほうが、暮らし全体としてみれば自立しているというケースは多々ある。場面を切り取らずに生活全般を考える必要があるのだ。



しかも社会の高齢化と人口減少という自然現象の中で、介護保険制度で定めることができないインフォーマルな支援能力は、確実に低下していくのである。



昭和のインフォーマルな支援能力を、新しく平成から元号が変わる時代に求めることはできない。



しかし介護保険制度は、ますます自立支援を促していく制度に向かっていく。先の報酬改定では、訪問介護の生活援助中心型サービスについて、一定回数以上の回数を計画するケアプランの、市町村への届け出義務が課せられた。



だがそれは一律不適切な計画という意味ではなく、国が発出している「厚生労働大臣が定める回数及び訪問介護」の交付についてでは、「生活援助サービスについては、必要以上のサービス提供を招きやすい構造的な課題があると指摘がある一方で、利用者において、様々な事情を書明ける場合もあることを踏まえて利用者の自立支援にとって、より良いサービスとするため、ケアアンネジャーの視点だけではなく、他職種協働による検証を行い、必要に応じて、ケアプランの是正を促すものである。」と釘を刺しているところである。



しかし地域によってはこうした趣旨を無視して、一定回数以上の生活援助中心型サービスを一律不適切と判断し、是正を求めるという動きが発生している。そこでは一定回数以上の生活援助中心型サービスを計画した介護支援専門員に対する、「公開処刑」が行われていると揶揄する向きもある。しかも処刑人は市町村の職員とは限らず、そこに手を貸す介護支援専門員もいるのだという。



しかも届け出義務議論の根拠となった、北海道標茶町のケースは、のちに必要なサービスであり、適切なプランであったことが明らかになっている。つまり月100回を超える生活援助中心型サービスを組み入れたケアプランは、糾弾すべきプランではなく、模範とすべきプランだったのである。



そのようなことを無視して、生活援助とは本来保険給付の対象とすべきではないとか、一定上の回数が必要なら、それは自己責任なので全額自費利用すべきだとかを平気で口にする関係者が存在する。



いつから介護保険制度は人にやさしくない、尻を叩き続ける制度になったんだろう。



要介護度が低くて身の回りのことは何とかできる人であっても、加齢や見当識の低下に伴って、家事までは頑張れないという人がいるのだ。その人たちは、家事をこなすたびに毎日、「辛い、辛い」と嘆きながら、生きるために仕方なく頑張らされている。辛いからいっそ死にたいと思っている人たちの最大の願いは、「一日でも早く、お迎えが来ますように」である。



そんな超高齢社会が、21世紀に2度目のオリンピックを開催しようとする先進国・ニッポンの現状である。それが本当に先進であるのだろうか。



人は誰かに頼ることができるからホッとできるのだ。誰かにも頼れず、寄りかかることができない社会は恐ろしい。自立とは共立の概念があってこそ、はじめて成立する概念である。誰かに頼ることを、「悪」とか「不適切」と考える社会は、人が暮らしを営む社会とは言えない。



辛いという文字に一を足せば幸せという文字になる。介護とは本来、辛いと叫ぶ人に、「幸せになる一をつなぐ仕事」であるはずだ。辛い辛いも自己責任だと見放し、見下す仕事ではないはずだ。



辛いを幸せに変えるための「一」を探すのがケアマネジメントである。そうした思いにもっとシフトしたほうが、制度は本来の機能を発揮するのではないだろうか。



給付制限ありきの自立支援は地獄支援でしかない。自立支援より自律支援が求められることを今一度思い返す必要があるのではないだろうかと思う。