Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

スキンケアと思いやりについて!

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介護の仕事に専門性を求めようとしたときに、〇〇療法などという言葉に専門性を感じて、なにもかもを療法にしたがる人がいる。



しかし療法という言葉だけが独り歩きして、療法として行われる行為が介護サービス利用者にとって意味のないものになるばかりではなく、迷惑な行為になっていることもある。それは専門性とはかけ離れたものとしか言えない。



介護というものは特定の病状や非日常をターゲットにするわけではなく、一人一人の生活者の日常の暮らしにアプローチするものであり、極めて個別性の高いプライベート空間に介入していく行為である。そこではある領域のプロ意識以前に、生活者としての常識感覚が必要とされることが多く、療法よりも行為そのものが重要になってくることが多い。



わかりやすい例として、「化粧療法」なるものを取り上げてみたい。



化粧療法とは、スキンケアやメイクなどの化粧を行うことによって、心身機能やQOLの維持向上など健康寿命の延伸をめざす、アンチエイジングのための療法と言われている。それは高齢者全般を対象とするだけではなく、認知症の人の心身活性化を目指して実施されることも多い。



それが効果的な場面もあるだろう。



しかしそれよりももっと重要な視点が介護には必要なのだ。介護の専門性とは、化粧を療法にすることではなく、女性が化粧をしていきたい場所や、会いたい人を失わないようにすることである。



認知症の人であっても、化粧をしたいと思える日常をつくることこそ、心身機能の活性化につながるし、QOLの維持向上にとって求められることだ。



化粧療法と称する時間をとって、その時に綺麗になったと周りがはやし立て、その瞬間に認知症の人の良い症状を引き出すことに意味がないとは言わないが、化粧療法の前後の日常で、その人が無表情で誰ともコミュニケーションを交わさずにいたとしたら、その療法とは一体何のためにあるのかということになる。



それはまるで、療法という冠がつけられた行為を行う時間をつくるためだけを目的とした行為でしかなく、療法によって日常が良い影響を受けているとは言い難い。化粧をするための目的となる行為があってこそ、日常は変わるのではないのだろうか。



化粧品メーカーの販売戦略に踊らされて、化粧を療法化する介護施設で、日常はどのように創られているのだろうか?



もっと当たり前に豊かな日常を考えて、それに向かった支援の在り方を創造してもらいたい。



離床の目的は、単にベッドから離れることではない。人は行きたい場所があり、会いたい人がいるからこそ、生きたいと思うのである。会いたい人と会うときには、できるだけ見た目もきれいでいたい。そのために女性は化粧をしたくなるし、身だしなみを整えたいと思うのだ。



女性にとって化粧とは、人に会うために施すごく当たり前の生活習慣だから、そんなものを療法にしてはならないのである。



服装をはじめとした身だしなみを整えることは、人と会うために必要な支援行為である。つまり整容介助の意味は「当たり前の暮らしの援助」の域を出ないし、他に意味を見出す必要もない。



だからこそ化粧をして、きれいな服を着て、身だしなみを整えることは重要であり、介護支援を必要とする人が、「生き生きと暮らす」ためには、重要かつ必要不可欠な支援である。



逆に言えば、会いたい人のいる場所に行くときに、髪の毛が乱れたままの寝ぐせの状態で、目やにも付いたまま、寝間着も着替えずにそこに連れていかれるとしたら、そんな場所でその人たちが、生き生きと暮らすなんて無理である。



そんな場所で、「生きたくはない」と思われるかもしれない。そんな風に人前に出されるとしたら、もういっそのこと自分というものはこの世に存在しないものと考えて、誰とも会いたくないと思い込み、会いたい人がいることを無理に忘れ、本当の自分を殺して無表情で息をするだけの存在になろうとしている人がいるのかもしれない。



みんなと食事を摂る場所に、車いすで連れていかれる人で、寝間着を着たままでいる人が無表情であることが多いのは、案外そんな理由かもしれない。



利用者の思いに気づき、その思いに寄り添おうという、「思いやり」が失われてしまった場所では、そんなことにも気が付かないのだろう。



それはとても哀しい介護の現実と言えるのではないだろうかと思う。