Allo介護の不思議な世界

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過去に向かって歩む認知症へ理解を示す方法

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現場で認知症高齢者の方々と接した経験がある方ならよくわかると思うが、徘徊行動がある方が外に出ようとしたり、歩きつづける理由で男女共通で多い理由は「家に帰る」ということだが、そのほか男性の理由で1番多いのは「仕事に行く」女性の理由で多いのは「買い物に行く」である。



これをよく考えてみると、男女で一見違った理由で歩いているように思えるが、良く考えてみると女性の「買い物に行く」というのは一家の主婦としてもっとも重要な仕事である「買い物」という意味ではないかと考えられる。



つまり「仕事に行く」と「買い物に行く」は同じことなのである。



徘徊する高齢者は、自分が一家の主あるいは家庭を守る主婦として、それぞれに「役割」をもって家族を支えていた過去に戻って歩いているのである。



今現実にある自分の姿が、あるいは自分の置かれた状況が、本来の自分の姿ではない、と感じることから始まって、自分がもっとも自分らしくいられた過去に頭の中の時計を戻し、それを取り戻せる場所に向って歩いているのだ。



つまり、いまいる現状を否定したくなる現実があり、そこから逃れる為に時間を戻しているのだ。だから徘徊行動は異常行動ではなく、それぞれの高齢者の自らの「小さな危機」の訴えであると考えられる。



その訴えのサインをきちんと受けとめて寄り添わないと、認知症高齢者はいつまでも現実に戻ることはない。



誰にでもプライドはある。認知症の高齢者にも、プライドはあるのだ。彼らの自尊心がいたずらに傷つけられるとき、彼らはそれに抵抗するすべを持たず、ただ安心できる場所を求めてさまようことになる。



それは例えばものをなくして見つけられない自分、そして失くすことを他者からなじられたり、怒られたりする自分であるかもしれない。物を無くしたことを忘れる自分は信じられないから「盗られた」というのであり、これを単なる「盗られ妄想」なんていって欲しくない。



かれらがそれを否定する現実を受け止めてほしい。



おしっこを漏らしてしまう自分を受け入れられないことで、徘徊行動に結びつく高齢者も多い。



おしっこを漏らす自分は自分自信ではないと思う。だから「あいつ寝ているまに水をかけた」とか「人におしっこをかけられた」というんだ。これだって妄想ではない。自尊心の叫びなのだ。



このとき失禁する自分を受け入れられない高齢者の前で、介護者が失禁をなじるとしたら、これは居たたまれない気持ちになるのは想像に難くない。



他者が受容できないことを、何故高齢者だけに受容すれというのか?



介護者の関わり方は、高齢者の精神のありように関わってくる問題だ。



失禁したからといって人間失格なんていうことはないんだ。数度の排泄失敗は、そっとフォローすれば済むはなし。



受容とは、その方が今、どういう状況にいて、何を考えているのかを共に考え悩みを共有することだ。答えなんてすぐ見つけなくていい。見つけられなくていい。共に考えることから全ては始まる。



普通の人間として、共に悩み、ともに歩み、共に生きることが大切なんだ。



認知症高齢者のケアだからといって特別なことは何もない。