Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

綾瀬はるかとトーキョーダモイ

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先日、NEWS 23で綾瀬はるかさんが、戦争体験者の方のお話を聞かれていました。



トーキョーダモイとは…



【東京に帰る】と言う意味です。



戦争が終わり東京に帰れると思ったのに、騙されて列車は反対のモスクワ方面に向かって行ったのです…。



戦争体験者の安田重晴さん(98歳)は、シベリア抑留者でした。



何故、シベリアに60万人の人が、抑留されたのか…



何故、戦争が終わった後に6万人の人が亡くならなければいけなかったのか…



どんな地獄を体験したのか…。



わたしたちが生きていく上で、絶対に知っておかなければならないと思います。



1945年8月15日、日本は負けました…。



降伏した日本兵は、ソ連兵に促され列車に乗り2000箇所以上ある収容所に送り込まれました。



ここから抑留生活が始まるのです。



この抑留を命令したのは、ソ連の指導者スターリンでした。



不足した自国の労働力を補うために日本人を利用したのです。



マイナス40度のシベリアの冬の寒さは痛く、手の先が凍傷になって腐り、手や指、手首を切った人もいました。



空腹に耐えられない時は、ソ連兵の兵舎の腐ったゴミを漁ったり…



食事は雑穀でひえとかコウリャンの殻付きのままで排泄物を洗い直して、煮て食べたそうです。



空腹で亡くなった仲間も沢山いたそうです。



強制労働を強いられ、仕事が遅いと見張りの監督にムチで殴られたりしたそうです。



安田さんが、いくら話してもどれだけ伝わるかわからない…



70年前の出来事を、苦しい、苦しいと言っても分からないものだ…と仰っていました。



シベリア抑留者は、戦争が終わってシベリアに連れて行かれて、そこで6万人死んだのです。



死ななくてもいい命だったのです。



数年の抑留後生き抜いた安田さんは、やっと日本に戻りました。



"戦争がいかんのや

勝っても負けてもあかん戦争は…"



と語った安田さん。



舞鶴引揚記念館があるそうです。



みなさんも、行っみてはどうでしょうか?