Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

孤独死~アナタは誰の手を煩わせたいですか?

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自分はできるなら誰の手も煩わせることなく逝きたいということです。



自分は家族にはさせたくないと思う。

よく「孤独死」が問題にされ「1人淋しく死んで可愛そうに」という訳です。



もともと、死ぬ時は1人です、心中したり集団自殺なら賑やかでいいというものではありません。




仏教では「独生、独死、独去、独来」といいます、生まれる時も死ぬ時も一人なのです。



ただ、独居者が淋しいSOSを発していたのなら、それに応じるしくみは必要です。




死んだ後、3ヵ月もして発見されるのは迷惑な話です、なので死んで二日ぐらいに発見されるような手筈は必要です。



このSOSの発信と発見の手段2つさえクリアできていれば、孤独死は「死に方」とすれば理想的といっていいのです。



何故なら、邪魔立てする家族や、医療従事者、介護関係等、誰もいないので、穏やかな自然死が実現できるからです。



「ピンピンコロリ」でない限り、だんだんと身体の自由が利かなくなりますから、ヘルパーや訪問看護師や訪問診療医に面倒をみてもらうことになります。



そういう状況下では、死後3日も4日も発見されないということはあり得ません。



もし、独居者が「延命医療」も「延命介護」も希望せず、自然死したいという確固たる信念と覚悟があれば、自宅で最期を迎えることは可能だと思います。




私自身は、自分が独居になったなら誰も迷惑をかけず孤独死を迎えたいと思っています。

そして私は「先に逝くものは、残された人間を煩わせるべきでない」と思ってますので、お通夜、葬式、法事等の宗教的行事は一切しないように言ってあります、間違っても戒名なるものも絶対につけないように言ってあります。



信仰は、信仰する自由と信仰しない自由がある訳で、私は嫌いですから信仰はしません、所詮これらの宗教的行事はお寺のお金儲けだと思っています。




そんなお金があるならば、家族には自分達の為につかってほしいのです。



ちなみに、文化勲章を受賞された、瀬戸内寂聴さんは、本物の宗教と偽物の宗教の見分け方として、「お金を持っていかなければならない宗教は偽物です」と言われました、お寺の多くの住職は耳が痛いのではないでしょうか。



様々な介護の修羅場



喜びも悲しみも、幸せも不幸も、愛も憎しみも、これ以上分析不可能な人間であることの哀しみの底を見てしまうのが、介護という仕事です。

こういう修羅場を見ると、人間は一人の方がいいのかもしれない・・・