Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

和光市方式~介護保険制度から卒業~理念と目標の違い

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介護事業において、「理念」を掲げ、その理念を達成するための目標を立てることは大事と思う。



しかし理念とは、「こうあるべきだという根本の考え」ということ。



介護事業であれば、介護の本質を知らずして理念も何もあったものではないと思う。しかもそれは単なる方法論をいうものではない。「おむつゼロ」や「科学的介護」なんて言うのは、一つの目標であったり、方法論であったりするだけで、それ自体が理念になるようなものではない。



ところで介護保険制度の掲げる、「自立支援」という理念を、そのまま介護事業における理念と同じにしてよいのだろうか?



制度の理念は、制度を運営する側の理屈でしかなく、制度に血を通わせて、闇に光を届ける実際のサービスがそれと同じ理念で良いのかと思う。



少なくとも制度の手足となって動く側には、もっと違った考え方があってよい。そもそも介護事業や介護サービスとは、暮らしを営む人間に向かい合って、そのプライベート空間に深く介入するものなのだから、制度の理念を唯一の価値としてはならないのではないか。



そもそも介護実践をしたこともない役人の理念は、一度疑ってかかる必要がある。



何が本質なのかということを自分の頭で考えずに、人から与えらたものだけを頼りに価値観を形成してしまう人に、物事の本質や、真のニーズなんて理解できるはずがないと思う。



「お世話型介護施設から、自立型介護施設への脱却」というキャッチフレーズを使って、「自立支援が一番大事だ」と高らかに謳って運営している施設がある。



それはある意味、自立できない高齢者の尻を叩き続ける施設と言ってよい。



80年も90年も頑張って生きてきた人が、さらに自立を強要される施設で、安心した暮らしを営むことはできるのだろうか。そこで暮らしたいと思うだろうか。いつまで人は頑張り続けねばならないのだろうか。



人の暮らしとはもっと多様性があるものだろう。一つの目的だけで表現できない多様性の中に生きるからこそ人生は豊かになるのではないのか。自立型を謳う介護施設は、その多様性を喪失させてしまうだけのように思えてならない。



介護施設の機能ももっと多様性がなければならず、「自立支援」というキャッチコピーのような言葉だけを前面に出してしまうことで、本来の「暮らしの場」としての機能や役割は忘れ去られてしまう。



そこでは老人保健法で繰り返し失敗した、医療モデルによる介護予防という歴史が再現されるだけの結果に終わり、高齢者に対しても、自立できないのは自己責任であると決めつけ、その罰則であるかのように公費サービスを自己負担化させて、財源負担を減らすだけの結果で終わる恐れだってある。



そのよい例が、「和光市方式」だ。「介護保険制度からの卒業」というキャッチコピーを前面に押し出し、要介護認定で非該当とされた人に卒業証書まで渡したうえで、サービス利用ができなくなったことを、「おめでとう」と称える。しかしそれによって地域の高齢者の暮らしぶりが良くなったかなどという検証作業は一切行われていない。だから介護保険制度から卒業させられた人の、1割以上の人が、もともと使っていたと同じサービスを自費利用している。そのことについて行政担当課は一言も見解を述べていない。



そういえば和光市方式の「自立支援介護」の生みの親で、信者をたくさん持っていた審議監は、認知症の高齢者の財産を搾取して逮捕されている。弱い立場の人のお金をネコババする人に、高齢者に対する、「愛」なんて存在しないし、愛のない方法の自立支援は、結局「見捨て」でしかないと思う。



自立支援介護を高らかに唱え、おむつゼロがそれにつながるとする、「竹内理論」もそれと同じだ。そこで行われていることは、高齢者を尊厳ある一人の人間として見ず、排泄マシーン化する人権蹂躙だ。無理やり口をこじ開け、強制的に水分を多量に摂取させられ、おまけにトイレに排泄させるために、便器の上に長時間放置する暮らしのどこに尊厳や人間らしさが存在するというのだろうか。



介護施設や介護サービス事業者は、不特定多数の人を受け入れるのだから、価値観は多様化させた方が良いのだ。何か一つの事柄が、人間にとっての幸福であるかのような押し付けは、人の不幸に目をつぶって、自分の価値観のみを、「真実」であると信じ込む宗教である。しかもそれはカルト宗教に近いと言ってよい。



対人援助に関わる人間が、そのように目を曇らせてはならない。自分の考え方が唯一正しいという傲慢さから遠いところで、もっと人間に優しいまなざしを向けることが、私たちに求められていることと思う。