Allo介護の不思議な世界

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逝く人の意思とアドバンス・ケア・プランニングが全国に広がってほしい

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後期高齢者と呼ばれる時期になると、ある日急に健康状態が変化するリスクが高まることも当然であり、その中には急に亡くなられる方もおられるだろうし、元気で過ごしていた方が、急に人生の最終ステージに立っていると宣告される場合もある。



そのことを仕方のないことだと思う人は多いだろう。だからと言ってそのことを自分の身に置き換えて考えられる人はそう多くはない。



ましてや自分がまだ若いと思っている人や、若くはなくとも高齢者と呼ばれる年代に入っていないと思っている人は、自分が明日突然命にかかわる病気に見舞われるなんてことを想像できるわけがない。そんな事態がわが身に降りかかってくることを考えられないのが普通である。



しかし人間の致死率は100%であり、遅かれ早かれ死を意識せざるを得ない時期が必ず訪れる。その時、自分がその時期にどこでどう過ごしたいかという意思表示ができるとは限らないのである。



今わが国では国民の8割以上の人が医療機関で亡くなっているが、様々な調査で、「最期の時間をどこで過ごしたいですか?」とアンケートをとっても、8割以上の人が医療機関で最期の時間を過ごしたいと答えている調査結果は存在しない。



それらの調査では、過半数の人が最期の時間を過ごしたい場所として、自宅もしくはその時に過ごしていた場所と回答している。



そうであるにも関わらず、8割を超える人が医療機関で死を迎えているという意味は、「自分が死にたい場所で親を死なせていない」という意味でもある。



その理由は、世間体とか家族の思いとか、いろいろだろうが、そもそも子が親に、「どこでどのように最期の時間を過ごしたいのか=どこで死にたいのか。」ということを確認していないという理由が主であろう。しかしそれで良いのだろうか。



例えば口からものを食べられなくなっても、経管栄養を行うことで延命は可能であるために、経管栄養のみで10年以上生きられている方も世の中にはたくさんおられる。その人たちの中には、意思疎通がほとんどできず、気管切開されて定時に気管チューブからの各痰吸引が必要な人も多い。その人たちの多くが、各痰吸引の度に体を震わせてもがき苦しんでいる。その姿はまるで苦しむために生かされているかのようだ。



しかしその中には自分の意志ではなく、他人の意志によって経管栄養で生かされている人が多数含まれている。というより大多数の方々が、自分の意志ではなく家族の意志によってそのような状況に置かれている。



その人たちは果たして幸せなのだろうか?それでよいと思っているのだろうか?こんなことならもっと早く天に召されたいと思っている人がたくさんいるのではないだろうか?



そんなことを思うにつれ、もっと本人の意思が尊重される終末期の過ごし方が保障されるような社会になっていく必要があるのではないだろうかと考えてしまう。



だからこそ意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくという人生会議(アドバンス・ケア・プランニング=ACP)の重要性が増す。



そうした人生会議というプロセスを経たうえで、リビングウイルの宣言を含めた、「終活を行って最期の時に備えたいものだ。しかし終活も元気なうちにしかできない。



終活とは、死と向き合い、最後まで自分らしい人生を送るための準備のことであり、「これまでの人生を振り返る」・「残される家族のことを考える」・「友人、知人、今までお世話になった人たちへの思いをつづる」・「やり残したことや叶わなかった夢などを書き出す」などを行うことで、これから先にできること・できないことの整理につながる活動だ。



終活によって、自分が人生の最期をどこでどのように過ごしたいのかを、一番信頼できる人に伝え、託すことができる。そういう意味では終活とは、自分らしい最期を生きるための準備である。



そうした人生会議・リビングウイル・終活という意識が国民の間に広がってほしい。



看取り介護の方法論をいくら考え、その質を引き上げたとしても、終末期を過ごす人の思いに寄り添うことができない限り、それは真に求められる方法論とはならないと思う。



それは大切な誰かの最期の時間に、あなたの「愛」を届けるために必要不可欠なことではないかと思う。