Allo介護の不思議な世界

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~家族葬のススメ~中曽根元総理大臣も家族葬を行いました

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近年、わが国では冠婚葬祭などの慣習的な儀礼を改めて見なおして合理化していこうとする流れが強く見受けられるようになりました。



大規模で費用のかかる葬儀が、本当に故人を悼む人だけを集めて行う家族葬、僧侶を呼ばない直葬に変化しつつあるように、葬儀の後に続く故人への供養である法要にも、その本来の意味を問いなおして、無駄な虚礼なら思い切ってやめてしまおうという方々が多くなっています。



ちなみに、中曽根元総理大臣ですら家族葬をされました。



そもそも、初七日から始まる法要というものは、どういう根拠でなんのために行われるものなのかを調べてみますと、古代インドの宗教や儒教の影響などから発生したものばかりで、本来の仏教とは基本的に関係ないということに気付かされ、かなり驚くことになります。



仏教の本道とは無関係な数多くの法要が行われるようになった背景には、とくに江戸幕府による「寺請制度」という一種の宗教統制策が関係してきます。



寺が檀家に(重要な収入源である)法要を行うことを強制できる環境が整ってしまったわけです。



「法要をしなければ成仏できない」「極楽浄土に行けない」と言われれば、一般の人々の間に法要が強固な慣習儀礼として定着するのにさして時間はかかりませんでした。



要するに日本の寺院は、成仏や極楽往生は金銭で賄えるとする安直な商売を延々と続けてきたのです。



前のブログで平成不況の時代に、京都の祇園あたりで飲み歩いていたのは、医師と僧侶だと書きました。



これは誤解を生む表現でしたので、この場で謝罪します。



医師は不眠不休で患者の為に働き、その息抜きに飲みに行くのはストレス解消もあり当然です。



ところが僧侶は、「法要をしなければ成仏できない」「極楽浄土に行けない」等と人をだまして巻き上げたお金で酒を飲んでます、医師と僧侶を同列にするのは医師に対して失礼でした。



墓石、仏壇に魂を入れるとか、抜くとかみんな嘘の世界であり、僧侶のお金儲けに他ならないので、そのようなことは全くしなくていいし、する必要は全くありません。



知識が一部の限られた階級の独占物だった時代には問題にならなかったのでしょうが、現代の視点からは、法要など封建時代の遺物であり悪しき因習以外のなにものでもないと判断する人が現れてくるのは当然の結果です。



あらゆる稼業は時代の移り変わりとともに淘汰されていくものです。



今は、公務員の副業になり禁止されてるようですが、わたしが学生の頃は、檀家の少ないお寺の僧侶の先生がおられました。



立派な先生ばかりでした、ですから僧侶も人をだましてお金を儲けるのではなく働けばいいのです。



学校の先生が出来ないのなら、それなら旗振りだろうがすればいいのです。



汗水たらして、時には嵐の中、雪の中働く旗振りの仕事は尊いし、僧侶の仕事よりは立派な職業だと思います。



前のブログで檀家をやめる時に、寺院から「離壇料」たるものを請求されても、びた一文払う必要はないと私は書きました。



それでも、「離壇料」をお寺が払えというならば、それは「恐喝」という立派な犯罪だと、僧侶に言って下さい。



「供養しないと祟りが起きるぞ」今でもこういうことを檀家に言って回る僧侶は実在します。



こんな脅しのような商売のしかたがいつまでも続く世の中をなくすること、それこそ現代社会に生きる者の義務ではないかと思います。