Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

対人援助を忘れている幼稚な行事

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今年も巷はすでに年の瀬ムードである。



この時期になると介護施設や、通所介護などの居宅サービス事業所では、年末の行事が目白押しとなる。介護事業を利用する皆さんに、年末気分を味わってもらうように、クリスマスや忘年会といった行事を企画することが当然だと考える関係者は多いと思う。



しかしその行事は、本当に顧客である利用者のためになっているだろうか。利用者のための行事と称して、実際には職員側の目線からしか企画されていない行事が存在していないだろうか。



高齢者を対象にするサービス事業のお客様はすべて大人である。そのことを忘れているかのような行事が企画されていないだろうか。認知症のために子供のような言動をとる方がいるとしても、その方々の背中には、その方々の歩んだ人生が積み重なっており、その方々を大切に思う家族の思いが乗っかっている。



そのような方々に対して、幼稚な行事を繰り返して、高齢者やその家族の尊厳を損ない、思いを打ち壊していないかということを考えてほしい。



特養やグループホームでは、クリスマスパーティーと称して、利用者に紙で作った先っぽがとんがった帽子をかぶらせて、ジングルベルを唄わせているところがある。



世間一般的に見ると、それは異常な光景だ。一般家庭で高齢者がクリスマスにそんな紙で作った帽子をかぶってクリスマスソングを歌うなんてことはあり得ない。そんな文化や生活習慣があるわけでもないのに、介護事業者の中では、その異常な光景が当たり前のように作られている。



その光景は大人である高齢者の方々を見下し、子ども扱いする姿にしか見えない。そのことに気がつかない人がいるのは何故だろうか・・・。



サンタクロースの赤い帽子を、認知症の人にかぶらせて、クリスマスケーキを食べさせている光景も同じである。幼稚園児に対するようなことをして、喜んでいるのは利用者ではなく、従業員である。そんな行事は百害あって一利なしだ。



重度の障害を持ち、認知症の症状がある人であっても、その人が歩んだ人生に敬意を寄せて、もっと大人として楽しむことができる企画力が必要だ。人を楽しませるためには何でもありとしてしまって、子ども扱いも許されるとしてしまえば、我々の本来の目的が対人援助であり、生活支援であることが忘れ去られてしまう。



対人援助の価値前提は、「人間尊重」であり、子供は子供としての尊厳、大人は大人としての尊厳を護り抜くことである。それを忘れてしまっては、イベントは人の心を傷つける、「刃(やいば)」に変わりかねない。そのことに対する配慮を欠いてはならない。



認知症の人を、「馬鹿呼ばわり」して、顧客である利用者を、「お前」と呼んでいた特養は、そのような状態に陥るまでに、なるほどと思える経緯を経て、感覚麻痺が広がっていった。当初利用者を名字にさん付けで呼んでいたルールが守られなくなって、利用者を、「ちゃん付け」で呼ぶ職員が現れたことをきっかけに、やがて利用者をニックネームで呼ぶ職員さえ出てきて、利用者がどんどん見下されていった。



その結果、自分にとって気に入らない行為をとる利用者を、平手で叩くような職員も現れ、その姿が隠し撮りビデオによって、世間の目にさらされた。その動画を見た世間の人は、その恥ずべき醜い姿に、驚きと吐き気を覚えた。そんな姿になりたい人はいないはずだ。だから感覚麻痺は怖い。



大人に対する配慮を失った行事も、同じように感覚麻痺の産物と言えるのだ。そんなことが求められていると勘違いされた場所では、日常的に人権が侵害されていくだろう。そうならないように最大限の配慮をもって、大人が楽しむことが出来る行事を企画してほしい。



それとともに非日常の行事のために、日常を壊さないようするということを忘れないでほしい。介護サービスの場で何より大事なことは、日常のケアそのものである。行事のために排泄ケアなどがおざなりにされ、利用者の暮らしに支障を来す状態は許されないのである。そんな状態は利用者にとって迷惑であるだけではなく、生活障害そのものになっているといって過言ではない。



行事は日常生活に潤いを与えるためであって、日常ケアに上乗せされるものでしかない。そんな行事のために、日常の何かが失われてはならないと思う。